MIAの誕生・研究会のスタート
小野さんとの出会いと、MIA研究会スタートの模様を語りたいと思います。
1974年8月、私の郷里・富岡市で日本青年会議所の群馬ブロック会員大会が開催されました。富岡東高校が会場で、小野さんは分科会講師としてきてくれたのです。群馬ブロック会長セクレタリーとして私は小野さんの接待にあたり、そこで小野さんから1枚のユニークなカレンダーを頂きました。
2000年カレンダーです。1974年から2000年までの暦日が一枚のカレンダーになっていました。小野さんの解説によれば、この4半世紀の暦日の中に自分の人生の未来が全て隠されていると言います。その隠されている人生を自らシナリオにして、目標を書き込み実現していくためのカレンダーである、と説明されました。
25年間のボリューム、そしてその中の1年のボリューム、1ヶ月の占める割合などが視覚・感覚的に把握できるのです。しかも、25年は長いようで短い、人生の夢を描けば、時間を無駄には出来ない、と教えてくれます。
なるほど面白いカレンダーだと思いました。紙質は25年の耐久性のあるユポ紙で引っ張っても破れない強さでした。
私はその当時、青年会議所のLIAプログラム(Leadership In Action)を会社で勉強していました。社員を一通り済ませて、建設下請けの社長や親方を集めての毎週火曜日、7週の勉強会を主催していました。
その席で小野さんを紹介しながら、2000年カレンダーを説明しました。
参加者の中から、自分達もカレンダーが欲しいという声が出たので、私は次のように約束をしました。
「このカレンダーを作った小野さんは、今出来ることは、躊躇なくすぐやる人です。私が明日小野さんに依頼の手紙を書きます。長野には2日でつきます。その翌日小野さんはカレンダーを発送します。やはり2日で届きますから、来週の勉強会には皆さんに差し上げることが出来ます」
私の計算どおり、カレンダーは届きました。
どうですか? 世の中にはこんな人もいるのですよと、私は胸を張ってみんなに言うことが出来たのです。
そのカレンダーと一緒に小野さんからの手紙が入っていました。その中で、2つの勧めがありました。ひとつは、カレンダーに広告を入れて3000枚15万円で手に入れることが出来ること、もうひとつは、自己開発の「SMI」というプログラムがあり、これは、17万8千円で提供できる、という情報でした。
私はすぐに小野さんに電話をしました。「両方を同時に買うことは無理なので、二つのうちどちらを最初に購入すべきでしょうか?」
小野さんは、どちらかひとつなら「SMI」をすすめると言いました。その場で私はSMIプログラムを注文したのです。こんな経過で、小野正孝先輩との個人的なお付き合いが始まったのです。
その後、勉強会をしていた下請け組織の「樽栄会」が秋の旅行で長野の湯田中温泉に行く計画が持ち上がりました。私のすすめで、翌日の帰りに小野さんの会社(甲州屋)に寄って、講演を聴いて来ようということになりました。
当日、講演が終わってバスは帰ったが、乗用車を一台付けて行った私は、残って小野さんとしばらく話しをしました。その席で、「まったく新しい経営プログラムを来月から研究会をつくって開発することになっている、メンバーは日本JC・アカデミー委員を中心に5・6人位を考えているが、今井君も良かったら参加しないか?」と誘われました。
もちろん即断で、「ぜひ参加させてください」、と参加を約束したのです。富岡に帰って横山昇一先輩(当時群馬ブロック会長、私より先に日本JCに出向して小野さんのファンになっていた)に話したら、ぜひ私も参加させてくれ、と言ってくれて一緒に長野に行くことになったのです。
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MIA創設者グループ
1974年11月7日、長野市の甲州屋・常務室に6名のメンバーが集まりました。長野JCから久保田輝男、新庄JCから小野正雄、松阪JCから中西 進、玉野JCから柏谷公一、そして、富岡JCの横山昇一と今井清二郎、以上6名がMIAにとって記念すべき創設者グループとなったのです。
これは無作為のようなメンバー構成だが、よく考えると北海道・九州を除く全国の地区を代表する構成になっています。プログラム完成後の普及活動のために、という小野さんの配慮がなされていたのに違いありません。観音様の手のひらのような意思が感じられました。
会議の冒頭、小野さんは、MIAの趣旨を話し始めました。
「いままで、われわれは、経営者像を求めるということを、まったく受身でやってきたんだよね。例えばセミナーであるとか、講師の話を聞くとかということで、それらが単発的に開催されてきたと思う。まあ、それはそれで、そういう情報を得たいという欲求を持っていることは確かだ。一方で、もっと自分自身の問題、マネージャーとしての身の回りの総点検をいっぺんやってみた方が良いのではないかと思うんだよね。つまり、あなたは本当に経営者としての資格があるのか?、というところからスタートして、より高いマネージャー像というものを自分自身で作り出していく、というプログラムがあってもいいんじゃないかと思う」
「日本では、経営者の資格というチェックポイントがあまりないんだね。親父が社長で、息子がいれば、それは親子という資格でマネージャーになるということが意外に多い。人をマネージする力とは別に、技術とか、金力によってマネージャーになるということもあるわけだ。これらは、マネージャーではなく、単発型リーダーですよ。例えば戦場で、鉄砲を持って指揮するのに有能な人が、必ずしも、酒場でリーダーシップが取れるとは限らない、ということだと思う。企業で 要求されているマネジメントというものは、そんな単純なものではない。もっとトータルに自分を見つめることが必要なんだなあ。そのことに気がつかない人がたくさんいますよ。このような単発型リーダーは企業の中で意外に危険性をはらんでくる。いろいろな企業でトラブルを起こして失敗していく人たちは大方このパターンのリーダーだね。したがって、企業という視点から見れば、単発的リーダーシップ型リーダーから、マネジメント重視型リーダーへと変わっていく必要があると思う。このために、こつこつと自分のマネージャーとしての資質を向上させていくプログラムをつくって、やっていくことが重要なわけなんだね・・・・」
約30分間、小野さんは、いろいろな例を引き合いに出して、MIAの考え方を述べました。そして、これは、MIA会議の中で、最初で最後の「演説」でした。
その後、毎月一回、短いときでも6時間ほどかけての会議の中で、小野さんは、時には聞き役に回り、「そうか、そういう考えもあったか、なるほどなあ、うん、そりぁいいや、素晴らしいねぇ・・・・」、等々とほめ、そして、常にモチベーションを与え続け、最終的には、方向を見失わないように気を配ってくれました。私たちは、「このMIAプログラムは、マネージャーとしての、リーダーとしての小野正孝そのものの表現でありたい」と無意識のうちにも思っていたのです。
以上が、第1回のMIA会議のリポートです。小野さんの言葉は、しゃべった言葉をそのまま文章化すれば、それで立派な文になります。会議の前に、テーブルに大型のオープンリールの録音機をセットし、何時間でも全てを収録する。終わると、初めから「今井君これを持っていってまとめてきて!」、と言って私にそのテープを渡したのです。富岡に帰るとオープンリールの再生機などはなく、近所の電気店に行ってカセットにしてもらって、繰り返し聞き、懸命にまとめて文章化をした貴重な経験を与えてもらったのでした。
MIA テキスト
MIAテキストはページ数が多いので、使い方マニュアルと、6つのステップに分割してあります。
Chart Sheet
MIA専用チャート(PDFファイル)をご用意いたしました。 対応するステップに関しては、MIAスタートのページをご参照ください。
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